東北デベロッパー探訪記 第1回 安達敏信さん

TDCのデベロッパーを紹介するWeb連載企画、第一回目のインタビューは合同会社メガラボ(宮城県仙台市宮城野区)の代表社員、安達敏信さんにお願いしました。

安達さんはXOOPSサイトの構築・運用を多く手がけ、東北XOOPSをはじめOSS関連のコミュニティ活動も活発にされています。(なお、このTDCのサイトも安達さんのご協力により運営しています!)柔らかな関西なまりで語る安達さん、なぜ東北の仙台で暮らし、活躍するようになったのでしょうか?

インタビューを行ったのは、仙台駅前のビルAERの29階にある、エル・ソーラ仙台の交流スペース。安達さんも打合せや集まりによく利用するのだそうです。広々とした窓から仙台の町を見渡しつつ、お話を伺いました。(2008年5月20日取材)

安達 敏信(あだち としのぶ)さん 合同会社メガラボ代表社員
大阪府出身。広告制作会社にて大型特殊写真の加工を手がける。大阪、東京勤務の後、退社し、仙台へ。 2003年、メガラボを設立、2006年合同会社に法人登記。XOOPSをはじめとするCMSを利用したWebサイト構築、PHPを主としたWebアプリケーションの開発など様々な実績がある。2003年、東北のXOOPSユーザのコミュニティである東北XOOPSを立ち上げセミナー、イベント等で活躍。東北デベロッパーズコミュニティ運営委員。

アートから広告、写真へ―「メガラボ」の由来

生まれは大阪です。もともと絵が好きで。画家を目指していましたが大学は経済学部に進みました。それでも学生の時からデザイン関係の仕事をしていました。万博の頃で、デザインやアートが非常に注目されていた時代。テレビやラジオにとりあげられたこともあります。

レジャー産業やマンションの広告、印刷物の仕事を経て、その後写真を扱うようになりました。実は今の会社名「メガラボ」は「メガ(大きな)」+「ラボ(現像所)」、その原点がこの頃からの仕事。手がけていたのは、駅や空港の広告や博物館のビジュアルに使用される、特殊な大型写真。暗室が非常に広いんです。フィルムも機器も巨大で、すべて外国製の特殊なものでした。国内に頼れる人がいませんでしたから自分たちで調べて、調子が悪い時も自分で修理します。そのため、メカニックに詳しくなりました。エレクトロニクス、電子回路についても知らないといけなかったので、自然と強くなりました。

写真のデジタル化を手がけ、東京へ進出

写真といいましても原盤が必要。何十センチというものを合成に使用して、引き延ばす。この合成技術に、電子的な処理ができないかと常日頃考えていました。電子製版は既にあって、後のDTPのようなものが出てくるのではないかと、色々勉強しました。

そうしたらやがて本当にそういう時代になりましたね。これまで手仕事だったものをマイクロプロセッサを使って、デジタル処理するようになりました。大阪の本社で200名ほど一緒に仕事していたんですが、4、5名の営業と制作は私一人で東京に進出しました。のちに社員は東京だけで100名を越え、会社は年商何十億に成長しました。東京では私が工場長で。

東京には秋葉原がありますでしょう。電子機器の修理のためにしょっちゅう足を運びました。電子回路を自分で書いて基板にICを半田付け、アセンブラからコンパイルしました。並行して電子機器も開発していました。

その頃デスクトップのコンピュータが出始めました。当時、私が画像処理のために導入していたのは大型の出力機器、何千万何億というお金がかかります。工場の責任者として、良い方法を模索しつづけていました。プログラムとの絡みはその頃です。今まで作成してきた、合成した画像のデータベースが欲しいと考え始めたのです。「情報化」という言葉がぽっと頭の中に出て来ました。情報化によって、この後大きな時代の変革が起ると考えていました。

相変わらず大型の機械を導入してやっていたわけですが、何ギガというデータをやりとりするためのシステム構築が必要となった。この頃サーバを構築しはじめました。色々調べて、Linux、PC-UNIXと出会いました。機器の導入からシステムの構築に興味が向き始めたのです。

転機―デジタル化への疑問、そして家族のために

ふと見ましたら。生産は24時間体制、オペレータは8時間3交代、モニタが何十台と並んで。ほとんどが派遣社員で自分が手塩にかけて育てた部下に会えるのは週1、2回。自分も、部下たちも、技術者としてここまでやってきたつもりだった。それが、いまや自分の技術を発揮するのでは無く、人を使って監督する。職場での役割が変わって来た。 新しい技術を取り入れ、デジタル化を進めた結果、これではまるで設備産業です。私自身、これがやりたかったことなのだろうか?…と思い始めました。

その頃、私も遅い結婚をしまして家族ができました。 のちに家族は仙台に引っ越し、私は仕事のため東京に残りましたが…家内が病気をしまして。看病や子供の世話をしなければならない。そこで自分も仙台に来ることになりました。

選択肢は3つ。会社を休職するか、会社の支社を仙台に作るか、会社を辞めるか。 休職は何年になるかわからず、復帰して自分が再び活躍できる保証はない。支社を作る…これも悩みました、やろうとしてできないことはない。しかしかなりエネルギーを必要とします。若い頃のようにエネルギーを使い果たして、それで妻の看病と子供の世話ができるのか?そして、先ほどの話の通り、自分のやろうとしていた方向と会社の方向が異なってきていて、自分が仕事をし続けて満足できるのか?と。やはり会社を離れざるをえませんでした。

病院に行き帰りしている中で考えてた。これまでやってきた大型ビジュアルは設備が高価で不可能。大きな設備を必要としない仕事を、一人で始めるしかないのかな…。